雑文置き場

主にジャニごとになる予定

ジャニオタとして一年を過ごして、あるいはSexy事変覚え書き①

私が本格的なジャニオタになって2015年8月10日でちょうど一年が過ぎた。

本格的なジャニオタの定義なんてないけれども、私としては昨年の8月10日、自担を松島聡さん*1と決めた日が自分のオタク人生の転機だったと捉えているし、この一年でオタクとして様々な初体験を済ませた。せっかくなのでド新規ジャニオタとしての一年を振り返りたい。

と思ってこのエントリーを書いたのだが、この一年のセクゾオタとしての活動を振り返る=Sexy事変を振り返ることと切り離せなかった。むしろこのエントリーはド新規ジャニオタから見たSexy事変の記録と言った方がいいかもしれない。Twitterまとめサイトでもたくさんの記録が残っているが、一年を時系列的に追ったものはあまりないという点で、後々この異常事態を振り返るときに便利かもしれない。

願わくば、この一年は大変だったと笑える未来がはやく来て欲しい。

 

0. ジャニオタになる以前のはなし―2000年代初頭から2014年初春まで―

まず昨年、2014年8月10日に何があったのか。それは私が『ガムシャラSexy夏祭り』を見た日であり、松島聡さんの担当になると決めた日だ。だからと言って、それまでジャニーズに縁がなかったわけではない。元々私は2002年のグループ結成当初から関ジャニエイトを応援していたし、もっとさかのぼれば2001年のV. WESTのZepp Osaka公演から現場に行くことに対する快感を覚えた*2

関ジャニエイトのオタクとして私は濃い日々を送った。V. WESTから始まり2002年のAnotherからグループが結成される経緯を見守り、2003年に内博貴さんと錦戸亮さんがNEWSに所属すると発表されたときは呆然となり、2004年にエイトが関西限定CDデビューとなったときは涙を流して喜び、2005年に内くんが事件を起こし関ジャニ∞を脱退したときは目の前が真っ暗になった。内くんの件があまりにショックでそれから5、6年程ジャニーズから離れていた。好きなタレントのことで躁鬱になるのだから立派なオタクである。以上の通り、私は関ジャニにハマっていたが、一方で私は決してジャニオタではなかったと思う。

当時の私がジャニオタではなかったと考える理由の一つに担当を決めなかったことがある。エイトを好きになった当初は担当制度なんていうものがあるなんて知らなかった。知った後でも私はグループとしてのエイトが好きだから、一番応援する人を決めたくなかった。そしてジャニオタ文化では一般的なウチワだが、私はファンサに興味はなく、松竹座でどんなにステージに近い席でもウチワを持ったことがなかった。また関西圏に住んでいて松竹座には比較的簡単に行けたものの、多ステをしたのは一度、2004年のサマーストームだけだった*3

そして私が当時決定的にジャニオタではなかったと考える最大の理由は、基本的に関ジャニだけに熱狂して、ジャニーズ全体に対しての興味が薄かったためである。当時関ジャニをTVで摂取できたのが『ほんじゃに!』と『ザ少年倶楽部』だけだったため、特に興味はなくとも飛ぶ鳥を落とすほどの勢いだったKAT-TUNは目に入ったし、曲も覚えた。また2004年と2005年に関ジャニと共演した『DREAM BOY』*4も見た。しかし私は関西でくすぶっている関ジャニと比較して、予算が潤沢そうで華やかに着飾らせてもらっているKAT-TUNを妬んでいた。それ以外でもジュニアやジャニタレに対する興味が決定的に欠けていて、エイトのバックでも分かるのは当時のBAD、BOY′S、室龍規さん、浜中文一さん、伊藤政氏さん、菊岡正展さんくらいで、東ジュはほとんど知らなかった。

つまり当時の私は関ジャニエイトのオタクであっても、そこから他のジャニタレへ興味が向かうことはなく、ジャニーズファン独特の文化にも染まっていなかったという点でジャニオタではなかったと言えよう。

 

内くんの脱退以降ジャニーズから離れていたが、友人に見せてもらった『∞UPPERS』のライブDVDをきっかけに2011年の『Eight×Eighter』公演から関ジャニ∞のコンサートに再び通い始めた。しかし本当にコンサートに行くだけでTVなどもほとんどチェックせず、他のジャニタレが目に入ることはほとんどなかった。毎週TVをチェックする茶の間ファンというほどのモチベーションもないわりに、一年に一回現場に行くだけという逆茶の間のような存在だった。

 

関ジャニ∞の逆茶の間ファンからセクゾオタとなる第一歩は2014年1月1日、ジャニーズカウントダウンコンサートの後に放送された『You コントしちゃいなよ』である。元日のカウントダウンコンサートのラストに香取くんが出てきてコント番組のことを知り、そのまま流れで視聴した。お目当ては久々に見る内くんとマリウス葉さんだった。

内くんはともかく、なぜマリがお目当てだったのか?

私がジャニーズから離れていた期間も最低限の情報は目にしていたため、2011年にデビューしたSexy Zoneのことは知っていた。ただし当時の私にとって平均年齢15歳のグループは幼すぎて興味の対象にはならなかった*5。その中で唯一名前と顔を知っていたのがマリである。やはりデビュー組でドイツ人とのダブルだとそれだけで目立つし、何よりも見た目がべらぼうにかわいく、私の琴線に触れたのだ。ショタは無理と言いながらマリのことは持ち上げる。矛盾した態度だが、それほどまでにマリは別格で可愛かった。おそらく白人系の血が入っていることによって、アジア系のショタさが緩和され私の罪悪感を刺激しなかったのだと思う。そのためセクゾの活動はチェックしていなかったが、マリの単独仕事として『コドモ警察』などは気が向いたら見ていた。

そういうわけで内くんとマリの名前を見かけて久々に姿を拝もうと2人が出演する「美絵流学園」を見たわけだが、そこには私の知らないマリがいた。浮世離れした白ランに身を包み、中島健人さん*6扮する桃山くんに言い寄る姿はまさに麗人。画面には花が咲き誇りお耽美そのもの。あのちっさくてかわいいマリがこんなにハンサムになったのね~と、正月早々近所のオバチャンモードにシフトした*7

 

そして初夏の頃に数少ないエイト関係でフォローしていたアカウントの方のつぶやきで「キンタマ食いのケンティ」*8という強烈なワンフレーズを見かけ、ケンティってマリと同じグループの中島健人くんだよね、何者…??という興味から、CSで放送されていたセクチャンこと『Sexy Zone Channel』を見たのだ。

この番組と出会い、私のジャニオタ人生が始まったと言っても過言ではないだろう。

 

1. Sexy Zoneとの出会い―2014年夏―

正直に言うと私は初めてセクチャンを見たのがどの回だったかは覚えていない。しかし強烈に5人を印象づけたのは焼き肉回と焼き鳥回だった。

 

焼き肉回も焼き肉回も基本的なルールは同じ。5人が料理を奪い合うだけというシンプルなものだ。しかしシンプルだからこそメンバーのパーソナリティーが強烈に伝わった。上2人、ふまけんことケンティと菊池風磨さんはとにかく場を盛り上げ、お酒も入っていないのに歌え踊れの大騒ぎ。しまいには料理を食べられない下の2人に絡んで、目の前で肉をひけらかし、2人をイジめる。ケンティはナチュラルボーンな天性のハジケっぷり、そしてふーまくんはいまどきの大学生の悪ノリを地でいくようなハイテンションっぷりだった。うってかわって下の2人、聡マリはふまけんにイジられながらもゴーイングマイウェイっぷりを発揮。2人の間でのイザコザの結果マリが聡ちゃんをブッ飛ばす場面がありつつも、基本的にはハッピーなオーラが充満していて見るだけで癒された。ふまけんがルールを無視してお肉を食べても、そのノリには絶対に乗らない聡マリはいい子だし、勝ったらお互いにハグをする2人は本気で天使だと思った。こんな濃すぎる面子に挟まれた佐藤勝利さんはとりあえずお顔がかわいいという印象。人間が食事をするときの顔はブサイクになりがちだが、彼は何を食べても綺麗なお顔が崩れることはなかった。なにせ横の4人のキャラクターが強過ぎて、ほとんど4人にツッコむ姿しか見れなかったのだ。とはいえ、黙ってマリの串を食べたり、4人がご飯を食べられないことに対してガッツポーズをするなど、どことなくイタズラっ子な側面も見て取れた。

とにかく美少年がその風貌に見合わず醜く肉を取り合いするという姿が最高におもしろかったし、ワチャワチャする5人の関係性がとても魅力的であり、その中でも聡マリの可愛らしさにやられたのだ。

 

私が惹かれたのはワチャワチャだけではない。聡マリちゃんの見た目的な意味での美しさにも惹かれた。自分のTLを遡って確認したところ、初めてセクゾに言及していたのが2014年7月20日のTLに流れてきた『ポポロ』の聡マリちゃんの写真に対するつぶやきだ。

 なおこれは2014年9月号の『ポポロ』に掲載された黒シャツを大きくはだけた伏し目がちな2人が白百合とともに写っている写真に対するコメントだ。この写真には少年から青年へと成長する過程にしかないイノセントなエロスが凝縮されていた。大して服を脱いでいないにも関わらず、紙面からまるで百合の香りが濃厚に漂ってくるように2人のセクシーさが香ってきたのだ*9

実際『ポポロ』を買ってみると聡マリの美しさは言うまでもなかったが、同じ号に掲載された薔薇風呂に浸かり、薔薇の蕾を口にするケンティのインパクトの強さにも衝撃を受けた。今ならポポ爺の性癖とケンティの過剰までのアイドル魂がこの薔薇風呂写真に凝縮されている!と言うことができるが、当時は美しいという感想よりも、何やってんだコイツという風に呆れた。しかしこの薔薇風呂の中、全力でキメるケンティが気になったのは言うまでもない。こうやって私はセクゾの美貌と、どこからともなく醸し出されるトンチキに魅了されていったのだ。

 

さて、この5人をもっと見たいという一心でツイッターを検索し、セクゾオタのアカウントをフォローしはじめたが、まさにその時点でセクシー事変が進行中だったのだ。

 

セクシー事変とはSexy Zone流動化問題であり、実質のところ聡マリ格差問題である。そもそも2012年のSexy Summerに雪が降るのリリース時から、看板などで聡マリの顔が極端に小さいなどの問題があったらしい*10。その格差は2014年7月の流動化で頂点となるが、その直前の春ツアーラストの横アリから聡マリの扱いが急激に悪化したそうだ。

本来2014年春ツアーは5人のステージを見せるというのがコンセプトで、名古屋と大阪ではそのコンセプト通りのステージだったにも関わらず、ツアーラストの横アリ公演では演出などで聡マリのポジションが格下げされ、「改悪」されたコンサートが披露された。「改悪」の象徴が、本来ツアー内でも目玉だったはずの「Be Free」における聡ちゃんのバク転カットだ。自分には他のメンバーに比べて個性や売りがないと悩んだ聡ちゃんが選んだ武器がバク転だった。聡ちゃんは8ヶ月も(異例の長さ)かけて習得し、初お披露目だった名古屋ではものすごい歓声を受けたそうだ。セクセカコンドキュメンタリー『Stand & Run』では、ファンの歓声に対して目をキラキラ輝かせた聡ちゃんが舞台裏で「バク転したときの盛り上がりがすごかった!嬉しすぎる!今までで一番嬉しいかも」と答える場面があった。その聡ちゃんの快活な表情を見るだけで、バク転初お披露目だった名古屋がいかに盛り上がったのか想像がつく。しかし残念なことに、「改悪」バージョンがツアーDVDとして発売されたため、私を含めたセクセカコンの名古屋大阪公演に入ることができなかった人間は、真っ当な5人のステージだったセクセカコンを一生見ることが出来ない。聡ちゃんのバク転をブルーレイ画質で見ることはできないのだ*11

さらにセクセカコン横アリ公演で、聡マリがSexy Zoneの「弟分」ユニットであるSexy BoyzとSexy 松*12として活動してゆくこと、8月にJr.と一緒に『ガムシャラSexy夏祭り』に出演することが発表されチケットが販売されたわけだが、その後セクゾの夏コンも発表。しかしセクゾコンの神戸公演がガムシャラと被っていて、聡マリがどちらに出演するのか発表されない始末*13

極めつけに7月15日に次のシングル「男 never give up」をふまけんしょりの3人だけでリリースすること、そしてSexy Zoneが流動化していくことが公式に発表された。各種ドル誌も3人をセクゾとして掲載し、聡マリは個人名で掲載され、ページも別々になった。オタクは阿鼻叫喚の渦に叩き込まれたらしい。

 

そして私が実際にリアルタイムでセクゾを追い始めて、初めて目撃した(とはいえ現場に行ったわけではなく、TL上の話)のが、2014年7月23日の埼玉アリーナの夏コンである。TLではありとあらゆるオタクがセクゾの状況を憂えていた。なぜなら玉アリで、セクゾの5人だけで歌ったのは本編ラストの「King & Queen & Joker」だけで、さらに5人の衣装が揃うことが一度もなかったという。コンサートはふまけんしょりのソロかSexy BoyzとSexy 松のコーナー、あるいは5人と大勢のJr.が出てきて外周通路をただただ回ってオタクにファンサをするだけのエンターテインメントとして成り立っていない代物。大勢の観客は座ったままで会場が盛り上がらないお通夜コンだとか、外周をセクゾの5人と無数のJr.がずっと回っているから回転寿司コンとまで言われる始末。

誰もがセクゾに絶望していた*14

 

私たちの大好きなセクゾはもうなくなってしまうのだろうか、とオタクは悲嘆にくれていた。そのため7月30日〜8月10日に行なわれる『ガムシャラSexy夏祭り』でもどうせ聡マリの出番は少ないんだろうという諦めきった空気が蔓延していた。Sexy事変なんて感じさせないのは我らがパライソ・セクチャンだけであり、オタクは藁にもすがる思いでセクチャンを視聴していた。

 

そんな空気を少し晴れやかにしてくれたのが、7月29日の佐藤勝利ソロコンサートだ。二部では健聡マリが見学し、3人が舞台にも登場した*15。もちろん私は現地にいたわけではなかったが、ツイッターでレポを散々漁って熱狂の渦に巻き込まれた。まずアンコール一曲目の「完全マイウェイ」でケンティが登場、その後「スキすぎて」で聡マリが登場だったが、ケンティよりも聡マリの登場の方に大きな歓声が出たらしい。普段のコンサートで圧倒的な人気を誇るケンティよりも聡マリに大きな歓声が送られたということは、勝利ファンも流動化事件を憂えていたと考えていいだろう。

さらにコンサートラストで勝利くんは袖からハケようとする3人を引き止め、ステージ中央の階段の上に4人で並び肩を組んでから、「メンバーっていいね」とソロコンの最後の最後に言って4人で一緒にハケたそうだ。

これだけでオタクは泣いた。ふーまくん不在とはいえ、そこにはオタクの見たい5人のSexy Zoneが確かにあったのだ。

 

次の日から始まった『ガムシャラSexy夏祭り』からも朗報が届いた。当初オタクは聡マリの出番がわずかではないかと疑ってかかっていたのだが、この不安に反して2人の出番は相当あった。また公演それ自体が非常に高いクオリティだったのだ。TLでは聡マリのポテンシャルの高さを賞賛するツイートが溢れていた。

さらにガムシャラ初日の7月30日は春コンのメイキング番組『Stand & Run』の完全版の放送日であり、セクチャンの新作の放送日でもあった。オタクのパライソことセクチャンのディレクターの和田英智さんが制作に関わったツアーメイキングでも5人のSexy Zoneは大切にされていた。5人の出番は平等で、ツアーDVDでカットされた聡ちゃんのバク転もキチンと放映され、番組の最後にはオタク泣かせのナレーションが流れた。

遠くない未来、Sexy Zoneの5人がアイドル界を席巻している姿が目に浮かぶ

このテンションのままセクチャンの放送。やはりそこにも流動化事件などまるでないかのように、単に5人でワチャワチャ体力測定をするSexy Zoneがいた*16。流動化発表以降ずっとオタクの間にあった暗澹たる空気が、前日の勝利ソロコンからの流れで一気に吹き飛んだのだ。私がセクゾに興味を持ち始めてから初めてオタクが狂喜乱舞する姿がそこにはあった。

 

私はジュニアの中で埋もれる聡マリなんて見たくないと思っていた。そのためガムシャラのチケットは確保していなかった。しかしこのTLの熱狂っぷりを見て、即座にチケットを確保し一公演だけ入ることにした。

 

このガムシャラの公演をきっかけに私は聡ちゃんの担当となることを決めたのだ。

(本当は一つのエントリーでこの一年を振り返ろうと思っていたが、到底無理だった。)

*1:初出の人名はフルネーム+さんで、それ以降は普段の私の呼び方で記述した。

*2:初コンサートは2000年夏のキンキだったが熱狂はしなかった。

*3:当時は比較的簡単に松竹座が多ステできた時代である。いまだに2003年冬の少年隊メドレーを複数回見なかったことを後悔している。

*4:まだSがついてない頃のドリボである。梅田コマ劇場でタッキー主演の本公演のオマケとして公演されたKAT-TUN&関ジャニ∞編と『Hey! Say! Dream Boy』を見た。余談だが、このとき中央通路すぐ後ろに座っていた私の目の前を田中聖様が観客を威嚇しながら通り過ぎ去ったときはあまりの殺気に殺されると思った。ジャニタレに胸キュン以外で殺されると思ったのは後にも先にも聖様だけである。

*5:今の私はデビュー当時の勝利くんと聡ちゃんをペロペロできるが、当時の私から見たら完全にショタであり、彼らを自らの消費の対象にすることは憚られた。まだマトモだった時代だ。

*6:当時はケンティがSexy Zoneのメンバーであるということも知らなかった。ちなみにこのブログを書くため美絵流学園を見直したが出演ジュニアがほとんどわかった自分が怖い。

*7:なお当時の私は桃山くんとジェシー演じる夏山くんのイチャイチャに対して嫉妬して鉛筆を折るマリが一番ツボに入った。今になって思うと現在まで続くゴリウス萌えの始まりである。

*8:毎日放送制作2014年6月15日O. A.『ホムカミ』でヤギのキンタマを食べた彼を称して。

*9:これに心を奪われただけあって、現時点で私のお気に入り聡マリ写真の第二位だ。一位は『TVfan』2014年10月号の聡マリがそれぞれパステル調のピンクと緑のパーカーを着てイチャついてる写真だ。あの写真のナチュラルイチャつき度合いを超す写真は今後出てくるのだろうか。

*10:聡マリ格差の数々はありすぎて羅列することができないが、一番わかりやすいのはCDとDVDのジャケットだろう。リアセク以降のほとんどが聡マリの顔が小さい。ポニーキャニオンのオフィシャルサイトでパッと見平等に見えるドバイやKQJは、初回限定として佐藤盤、中島盤、菊池盤がでているが、聡マリ盤は出ていない。衣装格差は言うに及ばず。他にも雑誌やTV出演がふまけんしょりよりも極端に少ないなど。

*11:なお聡ちゃんのバク転は「Stand & Run」だけでなく、2014年4月9日の少クラニュースでも放送されたので、ブルーレイ画質では無理だがバク転を見ることはできる。

*12:Sexy Boyzのメンバーはマリウス、岩橋玄樹、神宮寺勇太、Sexy 松は聡ちゃん、松倉海斗、松田元太。2015年8月現在セクボはキンプリ結成により実質的に解散。セク松は本人たちとオタクからの愛着があるのは間違いないが、実質活動ストップ状態。要はSexy Zone流動化の際にオタクからの不満を、「2人にだって真ん中になれるユニットがあるじゃないか」と言いくるめるために作られたユニットだろう。セク松については次回以降詳細に書く予定である。

*13:当初事務所は出演者についてはわからない、と言っていたらしい。しかしファンの抗議が強かったためか、しばらくして聡マリは出ないとアナウンスしたそうだ。

*14:セクゾオタではない人から見ても散々だったようである。リンク参照。

大人の決めたやり方それが正解なの? グループ再編に揺れるSexy Zone夏魂レポ!|おたぽる

*15:ふーまくんはGTOの撮影があったため来れず。

*16:実はこのとき放送された体力測定後編はセクチャンの中で例外的な番組構成をしている。約一年間の放送のなかで、唯一総集編コーナーがあったのだ。また一つ前の体力測定前編は妙に間延びした構成で、ふーまくんがGTOで遅れている間に健しょり聡マリが遊んでいる部分まで放送している。こうした番組構成から察するに本来体力測定は一回だけの放送だったにもかかわらず、事務所から次回分の撮影の許可が出ずやむなく二回に引き伸したのではないかという推測がオタクの間である。真実は闇の中だ。